日記を書きたいが書けないということ
日記が書けない。
書けないというのは、書き続けられないという意味でもあるし、そもそも日記にするような出来事も特にないという意味だ。
しかし、働き始めてからの空虚な生活を省みるに、何がしかのルーチンを組み込んで日々の些事を残していったほうが良い、という結論に至ったので書き始める。
昼ごはん、思考、漫画、相場のことなんかを書いていきたいですね。
母親に恥ずかしい本を読まれる話
先日、二階にある自分の部屋からリビングに降りると、母が何かを読んでいた。
別に、母が本を読むことは珍しくない。ただ、何を読んでいるのかが気になって覗いてみた。
漫画だった。漫画を読んでるのは、いい。だがそれは、何日か前に買ってきてそのままリビングに放っておいていた漫画だった。
『魔人探偵脳噛ネウロ』を描いた作者の松井優征先生(『暗殺教室』のが有名か)は単行本のコメントで、 「他人にiPodに入ってる曲を見られるのは、自分の内臓を見られているような気分になるものです」などと書いていた。
それと同じように、僕にとって自分の好きな漫画を紹介したり、それが読まれたりすることは自分の恥部を晒すような行為だ。好きな漫画作品には、そう思わせるだけの要素が詰まっている。それは絵柄だったり、演出方法、視点の切り口だったり。そうした作者さんの性癖がぎゅうぎゅうに詰め込まれたものを、読者が「私はこういうものが好きなんです」という名刺がわりにすることもある。 そのため、リビングに好きな漫画を置いておくことはお気に入りのエロ本を放置するのとほぼ同じ意味を持つ。そんなものを母親に読まれれば、たまったもんじゃないわけである。
「お前…ツイッターのアイコン、漫画のキャラやんけ!」というご指摘が飛んできそうである。申し訳ない。露出狂みたいなものなんです。
そんなご理解がいただけたところで、話は母が漫画を読んでいるのを発見した場面に戻る。
そうした恥ずかしさを噛み締めながら、冷静さを装い母親に問う。気分はギロチンにかけられた極刑者である。罪状はわいせつ物頒布罪。
「それ、面白いの?」
まるで自分が買った漫画でないような聞き方である。この辺が僕の卑しいところだ。 少しの沈黙の後、母は
「う〜ん(苦笑)」 と答え、そのままページをめくった。
ギロチンの刃が落ちる、その瞬間突然刃が止まり処刑人が「う〜ん」「刃が錆びてるな〜」と紐を上げ下げする。 ほぼぶった切られた首を抑えながら、恥ずかしさのあまり僕は自室に駆け戻った。
p.s. ちなみに母に読まれた漫画は『BEASTARS』です。肉食動物と草食動物の物語。おもしろ漫画でした。